はじめに
あなたは土偶(どぐう)って知っていますか?
とても面白い顔をしていますよね。
アニメとかテレビゲームなどでも、「ゆるキャラ」として土偶キャラがよく登場しています。
とくに目の中が線のように細くなっているものがありますが、遮光器土偶(しゃこうきどぐう)といわれるものです。
これは遮光器という直射日光がまぶしくないように、細く穴を開けたメガネを付けている人間をかたどったものだと推定されています。
つまり遮光器とは現在のサングラスのようなものです。
ではなぜ縄文時代に、このような土偶が作られたか知っていますか?
今回は土偶を作られた理由も含めた、縄文時代の宗教について説明します。
縄文時代の宗教について
ここでは縄文時代における宗教の始まりについて説明します。
日本の宗教の根源であるアニミズムという考え方
縄文時代の宗教の特徴は、アニミズムという考えが根底にあるということです。
アニミズムとは、目の前にあるすべてのものに霊魂(れいこん)が宿っていると考える信仰のことです。
たとえば、山はもちろん、そのへんに落ちている小石などにも霊魂が宿っているとされています。
現在でもたとえば、富士山(ふじさん)には神がいるとされる富士山信仰(ふじさんしんこう)が存在します。
これもアニミズムの考え方からできたものです。
このアニミズムという考え方は、日本独自のものではなく、世界じゅうどこにでも存在するものです。
アニミズムの考えに従うと、縄文時代のゴミの意味も変わります。
例えば、縄文時代の遺跡からは、貝塚(かいづか)というゴミ捨て場が発見されることがあります。
貝塚はゴミ捨て場なので、貝殻はもちろん、動物の骨や、こわれた道具が捨てられているのはわかります。
しかし貝塚からは、動物の骨といっしょに人間の骨、つまり人骨(じんこつ)が発見されることがあるのです。
人骨もゴミ扱いって、あまりにもひどすぎませんか。
アニミズムの考えに従うと、縄文時代のゴミは、現在のゴミの感覚とは違うんだよ。
つまりアニミズムの考えに従うと、現在ではゴミと考えるものでも、縄文時代ではすべて霊魂が宿っている神聖なものと考えるのです。
縄文時代における土偶について
縄文時代ではアニミズムという考え方に従って、集落では自然の神に豊作を祈る宗教儀式がおこなわれるようになります。
宗教儀式で使用されたものに、土偶(どぐう)という人間の形(人型)に作られた土人形があります。
土偶は、胸とお腹が強調された妊婦(にんぷ)をかたどっているものが多いのが特徴で、子孫繁栄を願って作られたと推定されています。
さらに出土される土偶の大部分は、身体の一部が欠損(けっそん)、つまり無くなっていることが特徴です。
この理由として、当時の人々が土偶をわざと壊して災いを与えると、自分たちには災いが起こらないと信じたからだと推定されています。
埋葬施設の整備
さらに縄文時代後期ころになると、土の中に死者を葬る墓(はか)の概念がでてきます。
旧石器時代でも、一部では洞穴などに死者を安置していましたが、死者を葬るという概念はなかったようです。
しかも一部の地域では、集落の関係者も含めた大規模な集団墓地のようなものが形成されるようになります。
その一例が環状列石(かんじょうれっせき)です。
環状列石とは、おもに東日本を中心に作られた施設で、墓石(ぼせき)が置かれた墓が輪っか状につながったものです。
環状列石は集団墓地であるとともに、収穫を祈る宗教儀式をおこなう場所としても使用されたと推定されています。
とくに秋田県鹿角市にある大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、直径が外側45mもある巨大な環状列石として有名で、世界遺産にも登録されています。
縄文時代の衰退
ここでは縄文時代後期に宗教がはじまった理由について説明します。
縄文時代前期は現在よりもさらに気温が高かった
ところであなたに聞きますが、なぜ自然食材が豊富な縄文時代に宗教儀式がおこなわれたと思いますか?
えっ!わからないよ…よりたくさんの自然食材が欲しかったからじゃないの。
でも目の前にたくさんの自然食材があるのに、もっと欲しいって自然の神様に祈るっておかしくない?
たしかにそうだよね。なぜだろう?
これには縄文時代が前期と後期で気候が変化したことが原因なんだよ。
実をいうと、縄文時代は旧石器時代と比べて温暖であると説明しました。
(くわしくはこちらの記事をご覧ください)
しかし10000年以上続く縄文時代の前期と後期では、気候に違いがあるのです。
縄文時代前期の日本は、現在の日本よりもさらに平均気温が2〜3度ほど高かったと推定されています。
その証拠として、関東地方から見つかっている縄文時代前期の貝塚が現在の海岸線より内陸で見つかっていることがあります。
つまり縄文時代前期は、温暖化により海水面が上昇したため、現在よりも内陸に海岸線があったということがわかるのです。
これを縄文海進(じょうもんかいしん)といいます。
つまり縄文時代前期の日本は、現在よりも温暖で、そのため自然食材も豊富に育ったということです。
寒冷化により縄文時代は衰退していく
しかし今から4500年くらい前の縄文時代後期になると気候が変化します。
つまり縄文時代後期になると、現在よりも温暖であった気候は、2〜3度ほど下がり、現在の日本の平均気温くらいになります。
これにより縄文時代前期に比べると自然食材もあまり育たなくなります。
すると縄文時代前期の豊富すぎた自然食材も、縄文時代後期には少なく感じるようになり、人々が食生活に不安を感じるようになります。
なんか前と比べて食べ物の収穫が減っている気がする。なぜだろう…
そして縄文時代前期と比べると食料が不足から人口が減少し、集落の数や規模もしだいに小さくなっていきます。
つまり縄文時代後期になると、人々はこれからの生活において不安を持つようになったのです。
このことから縄文時代後期になると、「かつてのような豊富な自然食材が欲しい」と自然の神様に祈る宗教儀式が起こるようになるのです。
これが縄文時代に宗教儀式がおこなわれるようになった理由です。
縄文時代の補足情報
ここでは縄文時代の補足情報について説明します。
縄文時代の風習
ここでは縄文時代の風習(ふうしゅう)、つまり当時のならわしやしきたりについて説明します。
発掘された縄文時代の人骨の一部には、歯に加工された痕跡のあるものがあります。
たとえば、一部の歯を抜かれた抜歯(ばっし)や、一部の歯をさすまた状に削る叉状研歯(さじょうけんし)というものがあります。
これらがおこなわれた理由については現在のところよくわかっていません。
しかし一説には、歯を抜いたり加工する痛みに耐える成人通過の儀式としておこなわれたのではないかと推定されています。
広い地域で交易が行われた
縄文時代後期には旧石器時代に比べればまだ暖かいので、人々の移動はさかんでした。
そこで人々は、物々交換による交易(こうえき)がおこなっていたのではないかと推定されています。
その証拠として、ある産出地の材料で作られた道具が、はるかに遠い場所から出土していることがあります。
たとえば長野県の和田峠(わだとうげ)から産出されるものに黒曜石(こくようせき)がありますが、打製石器の材料としてさまざまな場所で需要がありました。
また新潟県の姫川(ひめかわ)から産出されるものにヒスイという石がありますが、装飾具の材料としてさまざまな場所で需要がありました。
しかし、和田峠の黒曜石でできた打製石器や、姫川のヒスイでできた装飾具が、これらの場所から遠く離れた千葉県や青森県の遺跡で多く見つかっているのです。
つまりこの事実から、縄文時代後期にはとても広範囲で交易がおこなわれていたといえます。
ちなみに縄文時代の交易品の産地として、
- 黒曜石→和田峠(長野県)、白滝(しらたき・北海道)、阿蘇山(あそさん・熊本県)
- ヒスイ→姫川(新潟県)
- サヌカイト→二上山(にじょうさん・香川県)
が代表的なものです。
ちなみにサヌカイトも黒曜石と同じく打製石器の材料です。
まとめ
- 縄文時代にはアニミズムの考えに基づいた宗教儀式がおこなわれ、そこでは土偶が使用された。
- 宗教儀式がおこなわれた理由として、縄文時代後期になると、地球が寒冷化したことで自然食材が減少し、人口が減少したことにある。
- 縄文時代後期には環状列石などの宗教施設を作って宗教儀式をおこなうようになった。
- 縄文時代には抜歯や叉状研歯など成人の通過儀式がおこなわれたと考えられている。
- 縄文時代後期には、黒曜石などの交易がおこなわれたと考えられている。
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