日本史

【古墳時代の終末】古墳が権力者のモニュメントから家族の墓に変化した

古墳時代後期になると、大王の権力が充分に大きくなったことで、「モニュメント」としての大規模な古墳の意味がなくなった。こうして古墳は「家族の墓」としての意味合いが強くなった。代わって仏教の寺院がモニュメントとして作られるようになった。
日本史

【国造制と部民制】地方支配を任せる制度と権力者たちが民衆から税をとる制度!

国造制とは大王が有力地方豪族に地方支配を任せる制度であり、部民制とは大王・王族・豪族それぞれが庶民から税をとる制度です。これらは密接な関係がありました。それはかれらが税をとる部民が国造が支配するクニのなかにいたからです。
日本史

【氏姓制度】豪族に氏名(うじな)と姓(かばね)を与えて大王の権力を高めた!

大王は豪族に氏(うじ)という血族の集団ごとに氏名(うじな)を与えたり、ヤマト政権における序列を示す姓(かばね)を与えた。これにより大王は自分の権力を高めた。さらに臣や連を持つ豪族は、ヤマト政権の国政運営に参加することが許された。
日本史

【磐井の乱】朝鮮半島における新羅の台頭とヤマト政権をゆるがした大反乱!

6世紀になると朝鮮半島において、新羅が勢力を拡大し加那を滅ぼそうとしていた。ヤマト政権は加那を助けるために出兵しようとするが、新羅と交流がある北九州の大豪族である磐井が反乱をおこした。この磐井の乱により出兵は中止され加那は滅亡する。
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【ワカタケル大王】のちの律令国家のはじまりを作った偉大なる大王!

はじめに この記事は古墳時代中期に活躍した雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)ことワカタケル大王の考え方について説明します。 日本は8世紀の奈良時代になると、天皇中心の律令国家が始まるわけですが、そのはじまりが5世紀に活躍したワカタケル大王である...
日本史

【倭の五王】ヤマト政権トップである大王の権威が飛躍的に高まる!

古墳時代中期(5世紀)でも、日本(倭)は朝鮮半島で高句麗と戦い続けていた。ヤマト政権のトップは長期の戦いに不満な豪族たちを従わせるために、鉄資源の独占、渡来人の技術の独占、宋への朝貢をおこなうことで自分の権力を高めようとした。
日本史

【古墳時代前期】中国の分裂状態により朝鮮半島で新国家が作られた!

古墳時代前期である3世紀後半になると、中国がバラバラに分裂したために支配がゆるんだ朝鮮半島では高句麗・百済・新羅が建国された。とくに朝鮮半島北部にある高句麗が南方に進出したため、ヤマト政権は鉄資源の供給地である加那を守るために高句麗に出兵した。
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【古墳時代】巨大な前方後円墳の時代=巨大政治連合ヤマト政権の時代!

古墳時代における「古墳」は、前方後円墳という鍵穴状の古墳です。なぜ前方後円墳が古墳時代における「古墳」になるかというと、前方後円墳がほかの形状の古墳よりも規模が大きく、統一性をもって全国にひろがったからです。
日本史

【邪馬台国】卑弥呼は女王としての立場が弱かったから親魏倭王の称号をもらった!

邪馬台国とは29カ国による小国連合であり、争いを収めるために女性の卑弥呼が首長となった。しかし首長としての権力が弱いために魏に朝貢することで「親魏倭王」の称号をもらうことで権力を高めた。
日本史

【冊封体制】東アジアの最強国家である中国と周辺国家との上下関係!

日本の政治連合の首長たちは朝鮮半島の鉄器の入手のため中国と関係を持ちたかった。しかし中国は中華思想を持っていたため、冊封体制という上下関係でしかつながりを持てなかった。
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