2024-06

日本史

【倭の五王】ヤマト政権トップである大王の権威が飛躍的に高まる!

古墳時代中期(5世紀)でも、日本(倭)は朝鮮半島で高句麗と戦い続けていた。ヤマト政権のトップは長期の戦いに不満な豪族たちを従わせるために、鉄資源の独占、渡来人の技術の独占、宋への朝貢をおこなうことで自分の権力を高めようとした。
日本史

【古墳時代前期】中国の分裂状態により朝鮮半島で新国家が作られた!

古墳時代前期である3世紀後半になると、中国がバラバラに分裂したために支配がゆるんだ朝鮮半島では高句麗・百済・新羅が建国された。とくに朝鮮半島北部にある高句麗が南方に進出したため、ヤマト政権は鉄資源の供給地である加那を守るために高句麗に出兵した。
日本史

【古墳時代】巨大な前方後円墳の時代=巨大政治連合ヤマト政権の時代!

古墳時代における「古墳」は、前方後円墳という鍵穴状の古墳です。なぜ前方後円墳が古墳時代における「古墳」になるかというと、前方後円墳がほかの形状の古墳よりも規模が大きく、統一性をもって全国にひろがったからです。
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【邪馬台国】卑弥呼は女王としての立場が弱かったから親魏倭王の称号をもらった!

邪馬台国とは29カ国による小国連合であり、争いを収めるために女性の卑弥呼が首長となった。しかし首長としての権力が弱いために魏に朝貢することで「親魏倭王」の称号をもらうことで権力を高めた。
日本史

【冊封体制】東アジアの最強国家である中国と周辺国家との上下関係!

日本の政治連合の首長たちは朝鮮半島の鉄器の入手のため中国と関係を持ちたかった。しかし中国は中華思想を持っていたため、冊封体制という上下関係でしかつながりを持てなかった。
日本史

【身分制社会の発生】水田稲作の普及により支配者と戦争が発生した!

日本で身分差や戦争が生まれたのは、水田稲作が普及したからである。その理由は水田稲作が集落ごとに集団でおこなうようになり、集落にリーダーができたからである。さらに持っている米という財産の量で集落内で貧富差ができ身分差となっていったからである。
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