【冊封体制】東アジアの最強国家である中国と周辺国家との上下関係!

冊封体制アイキャッチ 日本史
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はじめに

あなたは現在の中国の外交を見てどのように思いますか?

自分からは頭を下げず、なんとなく偉そうな感じがしませんか?

これは現在の中国人にも中華思想(ちゅうかしそう)が存在しているからかもしれません。

中華思想とは中国人が「自分の国がナンバーワン!」という考えです。

今回は、この中華思想をもとにした中国と周辺国との上下関係である冊封体制(さくほうたいせい)について説明します。

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各地の首長たちは中国王朝に接近した

まず冊封体制の説明の前に、日本がどのようにして中国と関係を持ったかを説明します。

弥生時代後期になり日本で水田稲作が普及すると、集落同士で戦争が起こるようになりました。

そして勝った集落は負けた集落を統合することで、広い範囲の政治連合が作られるようになります。

そして政治連合の支配者、つまり首長(しゅちょう)たちは、中国(ちゅうごく)と関係を結ぶようになります。

日本は中国王朝から「倭」とよばれていた

まず首長たちと中国との関係を説明する前に、弥生三史料(やよいさんしりょう)について説明します。

弥生三史料とは、中国で書かれた弥生時代の日本列島との関係を書いた史料のことです。

弥生三史料とは具体的に、

  • 漢書地理誌(かんじょちりし)
  • 後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)
  • 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)

を指します。

これらの資料には、例えば「当時の日本は100カ国の国に分かれていた」とか「倭の奴国(なこく)の王様が金印(きんいん)をいただいた」とかさまざまな情報が書かれています。

しかしながら、これらの史料を読む機会があれば気を付けたいのが、史料が書かれた年代を頭に入れておくことです。

つまり弥生三史料それぞれにある、「漢書」、「後漢書」、「魏志」とは、「漢=前漢(ぜんかん)」、「後漢(ごかん)」、「(ぎ)」という中国王朝に書かれたことが重要です。

ちなみに厳密に言えば、「前漢」と「後漢」は同じ「」王朝ですが、途中で反乱で王朝がとぎれているので分かれています。

つまり当時の中国王朝があった、

  • 漢書地理志→紀元前1世紀の話
  • 後漢書東夷伝→1世紀〜2世紀の話
  • 魏志倭人伝→2世紀後半〜3世紀の話

が書かれているということです。

たとえば「魏志倭人伝」には、邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)という女性の話が出てきますが、3世紀前半から中頃の話となるわけです。

さらに同じく「魏志倭人伝」で、「倭人」とありますが、これは日本人のことです。

当時の中国は日本のことを「(わ)」と呼んでいたのです。

各地の首長たちは鉄器を確保するために中国に近づいた

ではなぜ日本の首長たちは、中国と関係を結ぼうとしたのでしょうか?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

それは日本と中国はとなり同士だし、関係を結んでおいたほうがいいとかあるんじゃない。

だるま先生
だるま先生

でも、日本の方から関係がまったくなかった中国と関係を結びたい理由がわからないよ。

では理由を説明します。

ヒントとなるのは、

それは日本国内で、鉄の道具である鉄器(てっき)が生産できなかったことです。

鉄は当時でいちばんかたい素材であり、鉄で作った道具、つまり鉄器は最強の道具でした。

たとえば弥生時代の水田稲作で使われた木製農具と比べ、鉄製農具はとてもこわれにくく、稲の生産性が爆発的にあがりました。

さらに鉄製武器は、石でできた武器や青銅製武器と比べると丈夫なので、戦争を有利に進めることができました。

つまりより多くの鉄器を手に入れることができれば、自分の支配地の経済力戦力を大きくすることができたのです。

つまり日本の王たちにとって、鉄器はのどから手が出るほど欲しいものでした。

しかしながら、弥生時代の日本では鉄器を生産することができず、朝鮮半島と交易して手に入れるしかありませんでした。

学ぶ一般人
学ぶ一般人

でも朝鮮半島と交易して鉄器をてにいれるなら、中国と関係を結ぶ必要なんてないんじゃないの?

だるま先生
だるま先生

でも中国と関係を結ぶ必要があったんだよ。

なぜならば、

当時の朝鮮半島は、中国の支配下に入っていたからです。

あなたは歴史の授業で、「楽浪郡(らくろうぐん)」とか「帯方郡(たいほうぐん)」という場所をきいたことがありますか?

じつはこれらは中国が朝鮮半島に置いた支配拠点だった場所なのです。

だから朝鮮半島で鉄器をスムーズに入手するには、中国との有効関係が絶対に必要でした。

だから日本の首長たちは中国と関係を結ぼうとしたのです。

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中華を中心として周辺の野蛮国を従える体制

このような理由で日本の首長たちは中国と関係を結ぼうしたわけですが、現在の交流のやりかたとは大きく違います。

現在の交流、つまり外交では、相手が自国よりも圧倒的に有利であってもお互いに平等な関係であるのが普通ですよね。

しかし弥生時代に中国と平等な交流関係を結ぼうとしたら、断られてしまうばかりか戦争になる危険性もあったのです。

東アジアの最強国家である中国は自分の国がナンバーワンと思っていた

なぜ戦争になる危険があるかというと、ポイントは「当時の中国は東アジアの最強国家」であるということです。

さらには中国自身でもそれを自負しているということです。

中国
中国

アイアムアナンバーワン!
俺に逆らうんじゃねぇ!

このような中国が世界で一番だと自負する思想を中華思想(ちゅうかしそう)といいます。

つまり自分(中国)は、「世界の心にある(はな)のある国」、つまり中華(ちゅうか)であると思っているわけです。

だから周辺国が中国と交流を持ちたいと使者を送る場合に平等な関係を求めようとすると、中国と戦争になる危険もあったわけです。

周辺国は中国と交流を結ぶために貢ぎ物を送った

このような理由で日本の首長たちは中国と交流を持ちたかったのですが、中華思想をもつ中国と交流を持つにはどうしたらよいのでしょうか?

それは中国から気に入られるために、日本の首長たちを含む周辺国は、中国に低姿勢で交流を求めなくてはならなくなります。

では周辺国が中国に対して低姿勢であることを示すにはどうしたら良いと思いますか?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

頭を下げて土下座するとかかな…

だるま先生
だるま先生

それもいいけど、相手の機嫌がよくなるもっといい方法があると思うよ。

もっといい方法とは、中国のトップである皇帝(こうてい)が喜びそうな自国の特産品などを持っていくことです。

つまりは中国に貢ぎ物(みつぎもの)を持っていくということであり、この行為を朝貢(ちょうこう)といいます。

中国は貢ぎ物に対してより豪華な品と称号で答えた

このような周辺国の朝貢に対して中国は、

中国皇帝
中国皇帝

遠いところからよく来たな。
朕(ちん)を尊敬してやってきたのだな。

といって気持ちよく受け取るわけです。

ちなみに「朕」とは、皇帝の一人称のことです。

このように東アジア最大の国家である中国に敬意を示した周辺国家に対して、中国は優遇(ゆうぐう)してくれるようになります。

さらにその周辺国の首長に対して、

  • 土産(どさん)
  • 称号(しょうごう)

を与えました。

土産とは中国からお礼として与えられる品物のことです。

ちなみに現在の「お土産物(おみやげ)」の語源はここから来ています。

そしてここでの称号とは、中国における身分・地位のことです。

たとえば後漢書東夷伝で奴(な)国の首長与えた「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」とか、魏志倭人伝で邪馬台国の卑弥呼に与えた「親魏倭王(しんぎわおう)」などが有名ですね。

このように周辺国の朝貢に対して中国が土産や称号などを与えることを冊封(さくほう)といいます。

このように周辺国に対して中国の身分・地位をあらわす称号を与えることで、中国と周辺国との間に上下関係が作られていったのです。

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周辺国には中国の臣下になる代わりのメリットがあった

ではなぜ周辺国の首長たちは中国に対して朝貢する必要があったのでしょうか?

日本の首長の場合は朝鮮半島の鉄製品を手に入れるためでしたが、その他の国々の首長たちも中国に朝貢していました。

では周辺国が中国に朝貢をおこなうメリットとしては、まず文明が進んでいる中国の文化・技術を自国に取り入れられるということです。

さらには、

  • 中国から攻撃を受ける心配がなくなる。
  • 冊封でうけた土産や称号を、国内での権威付けに利用できる。

まず前者については、東アジア最強国家である中国を敵にしたくないから従属しておこうという考えです。

さらにいえば、中国は周辺国が従属の意思を示してさえいれば、周辺国の首長に周辺国の政治をすべて任せるをいうスタンスでした。

つぎに後者についてです。

まず周辺国の首長がもらう土産については、朝貢した品物よりも圧倒的に技術料が進んだ「これはすごい!」と思える品物が与えられました

そして周辺国の首長は、圧倒的な技術力がある土産と称号を自分の家臣にちらつかせることで自分の権威を高めたのです。

周辺国の<br>首長
周辺国の
首長

俺は中国から超でかいサンゴの置物と「◯◯国王」という称号をもらったんだ!俺に逆らうと、バックにいる中国が黙っていないぞ!

このようにことわざ「虎の威を借る狐」のように、中国の軍事力を背景に周辺国の首長たちは自分の権威を高めたわけです。

ただし中国が周辺国が朝貢をおこなわせるには、

中国が周辺国よりも文化的・軍事的に圧倒的に強いこと

が条件です。

当然ですよね。

弱い国にわざわざ朝貢をする「もの好き」な周辺国はいません。

中国が圧倒的に強いからこそ、権威を得るために周辺国は朝貢をおこなうのです。

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東アジアに中国を中心とするあらたな秩序ができた

このように中国王朝は日本(倭)を含めた多くの周辺国と主従関係を結んでいきます。

すると東アジアでは中国を中心とするまとまりのある上下関係が作られていき、中国の王朝が変わったとしても中国が強い限り何度も作られていきます。

このような中国と周辺国との上下関係を、冊封体制(さくほうたいせい)、または華夷秩序(かいちつじょ)といいます。

華夷秩序の「華」とは「中華」である中国自身のことです。

そして「夷」とは野蛮(やばん)な人を意味しており、周辺国の人々のことです。

つまり、中国は周辺国の人々のことを野蛮人とみなしていたということです。

その例として中国は、

  • 東側の野蛮な人→東夷(とうい)
  • 西側の野蛮な国→西戎(せいじゅう)
  • 南側の野蛮な国→南蛮(なんばん)
  • 北側の野蛮な国→北狄(ほくてき)

と呼んでいました。

だから日本(倭)についての記録は、後漢書東夷伝(ごかんじょとういでん)に記載されているわけです。

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まとめ

  • 日本と中国とのつながりは、弥生三史料という中国側の史料に書かれている。
  • 集落同士の戦争に勝ち残った日本の政治連合体の首長たちは、朝鮮半島の鉄器を手に入れるに中国に接近した。
  • しかし中国では中華思想を持っていたため、平等な関係が許されず、朝貢をおこなうことで関係を結ぶしかなかった。
  • 周辺国の朝貢に対して中国は、土産と称号を与える冊封で返した。
  • 朝貢と冊封による中国と周辺国との上下関係を冊封体制、または華夷秩序という。

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