2024-07

日本史

【飛鳥時代】推古天皇が蘇我氏の開発地である飛鳥に政治の中心を移す!

飛鳥時代は、推古天皇が蘇我氏の開発地である飛鳥に政治の中心を移したことで始まった。蘇我氏がヤマト政権内で台頭した背景には、部下に渡来人が多いことと、欽明天皇と外戚関係を結んだことにあった。ここでは日本史学習における系図の重要性も教えます。
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【古墳時代の終末】古墳が権力者のモニュメントから家族の墓に変化した

古墳時代後期になると、大王の権力が充分に大きくなったことで、「モニュメント」としての大規模な古墳の意味がなくなった。こうして古墳は「家族の墓」としての意味合いが強くなった。代わって仏教の寺院がモニュメントとして作られるようになった。
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【国造と部民】中央有力者が所有する人民と有力な地方豪族との関係!

国造制とは大王が有力地方豪族に地方支配を任せる制度であり、部民制とは大王・王族・豪族それぞれが庶民から税をとる制度です。これらは密接な関係がありました。それはかれらが税をとる部民が国造が支配するクニのなかにいたからです。
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【氏姓制度】大王が豪族に氏名(うじな)と姓を与えて権力を高めた!

大王は豪族に氏(うじ)という血族の集団ごとに氏名(うじな)を与えたり、ヤマト政権における序列を示す姓(かばね)を与えた。これにより大王は自分の権力を高めた。さらに臣や連を持つ豪族は、ヤマト政権の国政運営に参加することが許された。
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【雄略天皇】律令国家のきっかけを作った偉大なる大王と巨大古墳の関係!

ワカタケル大王こと雄略天皇は、宋の皇帝より「安東大将軍倭王」をもらいながらも、国内向けの称号として「治天下大王」と名乗って使い分けた。これは雄略天皇の日本国内における「天下」を意識したものであり、のちの天皇中心の律令国家の原点となった。