【旧石器時代】とても寒くて狩猟しかできないから石器を使った!

旧石器時代サムネイル 日本史
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はじめに

あなたは、旧石器時代(きゅうせっきじだい)がいつの時代か説明できますか?

すこし歴史を知っているならば、石でできたヤリを持った人々が、マンモスを追いかけている姿を想像するかもしれませんね。

でもかれら旧石器時代の人々、つまり旧石器人(きゅうせっきじん)が具体的にどのような生活を送っていたかというと知らない人も多いかもしれません。

今回は旧石器時代における旧石器人の生活について説明します。

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旧石器時代はとても寒く、海水面が低い

日本史における旧石器時代は、今から3万5000年前から1万4000年前ころにあたります。

この旧石器時代のが特徴は、ズバリ、むちゃくちゃ寒いということです。

ちなみに現在から約1万年より前の昔を、地質学(ちしつがく)による年代で、更新世(こうしんせい)、または氷河時代(ひょうがじだい)といいます。

更新世においては、

  • 特に寒冷な氷期(ひょうき)
  • 寒気が和らぐ間氷期(かんぴょうき)

というふたつの気候が交互に変わることが特徴です。

旧石器時代は更新世のなかで、氷期にあたり、現代よりも気温が7〜8度低い状態でした。

現在の気候に当てはめるとすれば、東京が北海道の気候のような状態です。

夏場は涼しいかもしれませんが、冬は正直いって寒すぎますよね。

よって旧石器時代は、本来ならば上流から下流へと流れるべき川の水も(こおり)の状態で地表に残りつづけました。

そのため川の水が海に流れ込まず、海水の量も少なくなり、海水面が今よりも100メーターほど低かったようです。

そのため日本列島周辺では海面が低くなり、東シナ海と宗谷岬付近ではユーラシア大陸から歩いて渡ることが可能でした。

茶色の部分も旧石器時代はほぼ陸地であった

こうしてユーラシア大陸から日本列島へと大型動物(おおがたどうぶつ)がやってくるようになります。

ちなみに、ユーラシア大陸から日本列島へ

東シナ海からは、オオツノジカナウマンゾウ(毛が少ない象)

宗谷岬からは、ヘラジカマンモス(毛が多い象)

といった大型動物が渡ってきました。

さらに旧石器時代の人間である旧石器人たちも食料となる大型動物を追って、ユーラシア大陸から日本列島に渡ってくるようになります。

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旧石器人は大型動物を狩って食料とした

学ぶ一般人
学ぶ一般人

旧石器人は大型動物を食料にしたらしいけど、そのほかに食料はなかったの?

わかりました。

ではここでは旧石器人の食事についてくわしく説明しますね。

まず旧石器人が食料を得る方法として、

  • 草や木の実を得る採取(さいしゅ)
  • 魚介類を得る漁労(ぎょろう)
  • 動物を得る狩猟(しゅりょう)

の3つがあります。

これらの方法が旧石器時代に可能であるかを見てみましょう。

採集と漁撈から栄養をとることはほぼ不可能

まず前提として、旧石器時代の自然環境ですが、川の水が凍るほどむちゃくちゃ寒いことが特徴です。

よって生えている樹木も、寒冷地でも耐えられるスギやマツなどの針葉樹(しんようじゅ)が中心です。

この針葉樹というのは、食用となる木の実が育ちにくいのが特徴です。

たとえるならば、針葉樹にはかたい松ぼっくりのような実が育ちます。

これらはほとんど食べる部分がないので、木の実から栄養をとるのはほぼ無理です。

さらに湖や川の水もほぼ氷となるため、ほとんどの魚介類も存在しませんし、水があっても冷たくて命を失う危険がありました。

つまり漁撈によって魚介類から栄養をとることは不可能です。

つまり旧石器時代では、

採集→△(食べようと思えばできる)

漁撈→☓(まったく不可能)

となるわけです。

旧石器人は狩猟で生活していた

では残りの狩猟ですが、これは可能性がありました。

なぜならば旧石器人の周辺には多くの大型動物がいたからです。

つまり旧石器人は大型動物を狩る狩猟でしか食料を獲得できないわけです。

しかし狩猟をするといっても、素手でマンモスのような大型動物に立ち向かうことは無謀です。

そこで旧石器人は狩猟をおこなう際に、打製石器(だせいせっき)という道具を使用しました。

打製石器とは旧石器(きゅうせっき)ともいいます。

ちなみに新石器(しんせっき)とは、のちの時代に石をみがいて作った磨製石器(ませいせっき)のことです。

つまり「打製石器=旧石器」が使われた時代であるから、旧石器時代とよばれているのです。

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打製石器について

ではここから打製石器についてくわしく説明します。

打製石器の種類

ではまず打製石器の種類について見ていきます。

打製石器の種類はおもに、

  • 握斧(にぎりおの)→別名、ハンドアックス。切る、削る、掘ることでつかった。
  • ナイフ形石器(ないふがたせっき)
    →別名、ブレイド。食材の切断のためにつかった。
  • 尖頭器(せんとうき)
    →別名、ポイント。木の棒の先に付けて槍として使用。
  • 細石器(さいせきき)
    →別名、マイクリリス。細かい刃になっており、木や動物の骨にはめこんで使用。

といったものがあります。

なお打製石器は、「握斧→尖頭器・ナイフ形石器→細石器」という順番で進化していきました。

打製石器はしだいに「より小さく軽く鋭く」進化した

だるま先生
だるま先生

では質問します。どのような理由から進化したといえるかわかりますか?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

うーん。握斧はとても大きくて重いけど、細石器になるととても小さくなることかな。あとナイフとか先に鋭くなることかな。

だるま先生
だるま先生

両方とも正解です。ではなぜ打製石器が小さく鋭くいったかわかりますか?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

わかりません。

では理由を説明します。

のちほどくわしく説明しますが、旧石器人はつねに大型動物を追った移動生活を送っていたからです。

そのとき重い握斧だと移動の際にたいへんな負担になるので石器は小さくて軽いほうがいい。

しかしながら獲物である大型動物にダメージを与えて食料である大型動物をゲットしたいとも旧石器人は考えたわけです。

ちなみに、ここで打製石器の先を鋭くするとありますが、獲物を傷つけて出血させることにより殺傷能力を高めたということです。

その結果として、

加工をほとんど加えない打撃用の大型石器(握斧)
      ↓
先端を鋭くして切断用刺突用のような小型石器(ナイフ型石器・尖頭器)
      ↓
さらに細かい刃を枝、角、骨に取り付ける
交換可能な超小型石器(細石器)


といった具合に、打製石器は「より小さくて軽くて鋭く」進化していったというわけです。

ちなみに細石器ですが、そのへんに落ちている枝、角、骨に取り付けることで、武器として使用することができました。

さらに細石器ならば、ひとつがこわれても交換することが可能となりました。

また細石器の意義は、最終的に旧石器人はこのような細かい石器を大量生産できるほど進化したということです。

打製石器は固くて薄くはがれる素材を使用した

だるま先生
だるま先生

ではあなたに質問します。打製石器において一番重要なことな何ですか?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

重要なことか…うまく食料となる大型動物を仕留められることかな。

だるま先生
だるま先生

ほかには?

学ぶ一般人
学ぶ一般人

あとは石器が硬いことかな。狩猟中にすぐ壊れたら獲物が逃げるよね。

その通りです。

狩猟をする道具として打製石器に必要なことは、

  • 獲物を仕留められること。
  • 打製石器が硬いこと

であるといえます。

そこで打製石器を作る石材(せきざい)として、黒曜石(こくようせき)、頁岩(けつがん)、チャート、サヌカイトなどが使用されました。

とくに黒くてガラス質の黒曜石が有名ですよね。

これらの石材の共通点は、

  • 硬くて欠けにくい
  • 力の入れ方で薄く剥がれる(はがれる)

ということです。

つまりこれらの石材は、刃物として加工することが簡単であるということです。

とくに黒曜石は、現在でも医療用のメスの材料して使用されるなど、その切れ味に定評がありました。

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旧石器時代の生活とはとても厳しいものだった

では旧石器人は打製石器を使って狩猟をしたことで幸せな生活を送ることができたのでしょうか?

旧石器時代は獲物を追う移動生活だった。

正直いうと旧石器時代の人々は、とても厳しい食生活を送っていました。

まず旧石器時代に満足できる食料は大型動物の肉しかないので、旧石器人はいつも大型動物を探す移動生活をしていました。

そのため定住できる住居はなく、自然にできた洞窟やかんたんに組み立てられるテントのようなものを家の代わりにしました。

また獲得した大型動物の肉の調理もそのへんにある石や樹木などを使いました。

ある遺跡からは、石を焼いて肉を調理した現在の石焼き(いしやき)をおこなった痕跡が見つかっています。

なお、旧石器時代には土器を使った煮炊きはおこなわれません

なぜならば土器は重くてとても割れやすいので移動生活に向いていないからです。

土器が本格的に使用されるのは、定住生活ができる縄文時代(じょうもんじだい)からです。

旧石器時代は大型動物の肉を獲得するのも大変だった

ここで大事なポイントですが、旧石器人が狩猟によって大型動物を獲得するのは命がけの行為でした。

それは旧石器時代当時は弓矢(ゆみや)が使われていないからです。

弓矢が本格的に使用されるのは縄文時代からです。

つまり弓矢を使った遠距離攻撃ができないので、旧石器人は大型動物にかなり接近して攻撃しなくてはいけません。

狩猟のときに、運悪く大型動物にけられたり踏まれたりして命を失った旧石器人も多くいたでしょう。

よって大型動物を仕留めて食料にできることは、とてもめずらしかったにちがいありません。

実際に日本から出土した旧石器人の人骨を調べると、旧石器時代の人々の体格が現代人に比べてとても小さいことがわかっています。

さらに、歯がとてもすり減っていたこともわかっています。

つまり旧石器人も大型動物の肉をほとんど食べられずに、食べる部分が少ない針葉樹の実を食べて命をつないでいたということです。

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岩宿遺跡から日本にも旧石器時代があったことを発見した

ここまで旧石器人の生活について説明しましたが、どうやってこれらの事実がわかったのでしょうか?

原始時代は考古学の調査で推定していく

それは旧石器時代の遺跡(いせき)という当時の施設や、遺物(いぶつ)という当時の道具を調べることで旧石器時代の生活を推定していきます。

さらには当時の人間の骨、つまり人骨(じんこつ)も科学的に調べていきます。

これら遺跡、遺物などを研究する学問を考古学(こうこがく)といいます。

この考古学による研究は旧石器時代だけでなく、文字史料がない縄文時代(じょうもんじだい)や弥生時代(やよいじだい)でも行われます。

学ぶ一般人
学ぶ一般人

質問!
さっき旧石器時代の遺跡とか遺物とか説明したけどなんでそんなことがわかるの?

だるま先生
だるま先生

それは地層(ちそう)という考え方でわかるんだ。

地層とは、風や水によってけずられた岩石が粘土、砂、小石となってうすく積みかさなった層のことをいいます。

アルゼンチンサルタ州の地層
アルゼンチン サルタ州の地層(wikipediaより引用)

この層の構成ですが、時代によって成分が異なることが特徴です。

たとえば火山が噴火すると火山灰がまじったり、生物があるとその死がいがまじります。

そして地震で地層がずれると、断層(だんそう)といって地層が地表に現れることがあるのです。

すると少し層の色が変化するので、「この時代はこの色の地層だな」とすぐにわかるわけです。

さらにその地層から打製石器が出土すると、「この時代は旧石器時代の地層だ」と判断できるわけです。

旧石器時代の日本は火山活動がさかんであった

では地層から日本にも旧石器時代が存在していたことを説明します。

ところでみなさんは、日本でいつ旧石器時代の存在が知られるようになったか知っていますか?

実は戦前(1945年以前)の日本では、「旧石器時代に日本に人類は住んでいない」と考えられていました。

なぜなら、旧石器時代の日本は寒冷であるとともに、火山活動がとても活発な時代だったからです。

現在の鹿児島湾の桜島付近に姶良カルデラ(あいらかるでら)という巨大な火山があり、大規模な噴火を起こしていました。

それも日本全体に影響をおよぼす巨大な噴火でした。

実際に姶良カルデラの火山灰は、関東ローム層(更新世の赤色の火山灰の層)を代表する更新世の層を形成しました。

このことから戦前までの考古学では、

更新世の日本は寒いし、さらに火山活動も活発だ。よって人間が生活できるわけない。

ということが常識でした。

よって旧石器時代の火山灰層(関東ローム層)の発掘調査はおこわれませんでした。

岩宿遺跡の発見

しかし戦後になると、ある青年の登場によって、これまでの考古学の常識が変わることになります。

その青年の名は、相沢忠洋(あいざわただひろ)といい、群馬県で行商をする考古学大好き青年です。。

相沢はどこかの大学で専門的にしていたわけではなく、独自に考古学を研究する人物でした。

1946年、相沢は行商の仕事帰りにいつものように関東ローム層を調べていました。

するとそこから黒曜石の打製石器を発見したのです。

すぐに相沢は発見した打製石器をさまざまな考古学者に持ち込みましたが、さきほどの考古学の常識からまともにとりあってくれませんでした。。

そしてようやく明治大学による発掘調査がおこなわれ、相沢の成果が実証されます。

相沢が石器を発見した場所は、のちの岩宿遺跡(いわじゅくいせき)となります。

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まとめ

この記事では日本における旧石器時代について説明しました。

地球では氷期といわれるとても寒冷な時期であるため、現在よりも海面が低く、現在の日本列島は一部がユーラシア大陸と陸続きになっていました。

そのため大陸から大型動物が日本列島に渡ってきて、大型動物を追う人類(旧石器人)も日本列島にやってくるようになります。

しかし当時の地球はとても寒冷であるため木の実はあまり育たず、川や湖もほぼ凍っていたため魚介類もあまり生息していません。

よって旧石器人の食料は大型動物の肉しかなく、打製石器を使った道具を使って狩猟するしかありませんでした。

さらに旧石器人は大型動物を追う移動生活であったので定住せず、必要最小限の道具を持って洞窟や簡易テントで生活していました。

戦前まで日本には旧石器時代が存在しないと考えられていましたが、アマチュア考古学者である相沢忠洋による岩宿遺跡の発見によって、日本に旧石器時代が存在したことがわかりました。

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