はじめに
あなたは国司(こくし)と郡司(ぐんじ)の関係を知っていますか?
国の下に郡があるので、国司よりも郡司が下と思っていませんか?
たしかにそのとおりです。
ですが、単純にそうとも言い切れません。
郡司は地方を伝統的に支配していた元国造であるのにたいして、国司は都に住む貴族です。
地方を支配する際に、権力者が地元の庶民に知られているかいないかは地方政治にとって重要です。
実際に現在の選挙でも、立候補者が地元出身かそうでないかは選挙結果に影響を与えるではないですか。
この記事では、地方行政を担当した国司と郡司の関係性について説明します。
地方における支配者について
今回の記事では地方行政について説明します。
律令国家の地方は、七道(しちどう)という道を基準とする行政区画があり、それぞれの道は国(くに)という行政区画に分かれていました。
さらに国のなかに郡(ぐん)、郡のなかに里(り、さと)というように行政区画に分かれます。
そして下の律令官制表にあるように、国は国司(こくし)、郡は郡司(ぐんじ)、里は里長(りちょう、さとおさ)が支配しました。
地方に派遣される都の人である国司
ここで重要になるのが国を支配する国司と、郡を支配する郡司です。
それぞれの特徴を説明します。
まず国司は、中央(朝廷)から任命されて国の支配拠点である国府(こくふ)にやってきます。
つまり国司とは、都城に住む中下級貴族です。
あれ、教科書をみると国府と国衙が(こくが)の両方書いてあったんだけど同じなの?
厳密にいうと、国府は国司がいる拠点です。そして国衙とは国府にある複数の建物でも国司がいる建物のことです。
国司とは、現在でいえば都道府県知事のような立場ですが、都道府県民に選ばれるのではなく、中央の意向を受けて地方に派遣された都の人です。
さらに再び同じ国の国司に任命されない限りは、6年(のちに4年)という任期がありました。
地方の元支配者で終身官の郡司
このように国司とは、中央(朝廷)の意向により4年任期で地方へ派遣された都城に住む中下級貴族です。
あなたが地方の一般庶民として、このような国司を心の底から信用できますか?
えっ!国司って都の人で、任期が終わったら都に帰るんでしょ。心からは命令に従えないよ。
そう思いますよね。でも地方の一般民衆に従ってくれなければ税が取れなくて国司が困る。それで登場するのが国司の下にいる郡司です。
では郡司について説明します。
郡司とは一体何者かというと、古墳時代における地方の支配者だった元の国造(くにのみやつこ)たちです。
その事情を詳しく説明します。
古墳時代における国造は、地方での権力が強いためヤマト政権に警戒されていました。
しかし645年から始まった大化の改新(たいかのかいしん)において、地方の権力者である国造が解体されることになります。
国造の支配していた領地は数個の評に解体され、元の国造は解体された評の支配者の評督(ひょうとく)に格下げされました。
その評督が律令国家において郡司にスライドしたわけです。
(国造の解体についてはこちらの記事をご覧ください)
つまり郡司とは元国造の一族なので、伝統的にその土地の地方行政をおこなってきたという実績があるわけです。
さらに郡司は国司とちがって任期がなく、郡司の職も一族で世襲されていました。
ちなみに里長とは、里に在住する有力農民が就任し、一部の税免除という条件で郡司の下で徴税などの仕事をおこないました。
江戸時代風における庄屋(しょうや)、名主(なぬし)のような立場です。
何が言いたいかというと、里長をはじめとする地方の一般庶民にとって、国司の命令には素直に従わないが、伝統的支配者である郡司の命令には心から従うわけです。
国司は郡司に気を遣って政治を行った
こうなると国司は、自分で里長など一般庶民に直接命令せず、郡司を通して間接的に命令するようになります。
そして戸籍の作成や徴税などの地方行政の実務は郡司にすべて任せるようになります。
ちなみに国司が国府で政務をおこなったように、郡司も郡家(ぐうけ)とよばれる役所で仕事をおこないました。
こうなると、国司と郡司の関係性が難しくなります。
つまり郡司は地方行政における重要な存在であるため、国司としては郡司に対して気を使わないといけなくなります。
なぜならば郡司が国司の命令に従わないと、地方行政自体が成り立たなくなるからです。
しかしその一方で、国司は中央(朝廷)から任命されて地方に派遣された人でもあります。
中央(朝廷)と国司の間には明確な上下関係があり、中央(朝廷)の命令には絶対に従わなくてはいけません。
日本は律令国家なので、中央(朝廷)としては律令に基づいた地方行政を国司に求めます。
たとえば戸籍を作るならば戸令(こりょう)、口分田を配るなら田令(でんりょう)という法律に書かれたようにおこなわせる必要があります。
戸籍作成や徴税において郡司独自のやり方というのは一切認められず、郡司に律令に沿った行政をおこなわせる必要があります。
では誰がおこなわせるかというと、中央(朝廷)から派遣された国司です。
つまり中央(朝廷)から任命された国司には、郡司に律令を守らせる義務があるということです。
こうして郡司に律令に沿った政治をおこなうことで律令が地方に浸透(しんとう)していくことになります。
中央(朝廷)も郡司の重要性は知っている
しかし中央(朝廷)も国司の気持ちを何も考えずにただ命令しているわけではありません。
中央(朝廷)でも、地方行政における郡司の重要性はある程度意識されていました。
たとえば国司も郡司も天皇による任命によって就任する点は、国司と郡司は同格といえます。
例えば中央(朝廷)が郡司を意識しないならば、郡司の任命はそれぞれの国の国司がおこなっていたはずです。
なぜならば、郡司の任命権を国司が持つようになれば、任命された郡司は国司にのみ忠誠を誓うようになるからです。
しかし地方の伝統的支配者である郡司の中には、プライドの高い人が多いため、郡司も国司と同じように天皇による任命としたのです。
では国司はどのやって郡司を自分にしたがわせたのでしょうか?
儀制令(ぎせいりょう)という儀式についての法律では、「元日に、国司は郡司と一緒に国府の中心である国庁の正殿にむかって拝礼するように」と定められています。
つまり国司と郡司は、正月に一緒に天皇に向かって頭を下げることより、「国司=郡司」となります。
しかし国司はこのあと、郡司に対して国司である自分に向かって拝礼させることで「国司>郡司」という関係を明確にしたわけです。
国司と郡司は複数人で構成されていた
ここからは補足です。
じつは中央(朝廷)の意向でひとつの国に派遣される国司はひとりではありません。
国司を現在の都道府県知事に例えたため、あなたに誤解を与えてしまいました。
じつは国司は、ひとつの国につき複数人で構成されています。
もちろん派遣される国司は同格ではなく、四等官制(しとうかんせい)という明確な序列が存在しました。
(なお四等官制は、中央の官職でも見られます)
国司は立場が上の人から、守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)と呼ばれます。
たとえば武蔵国(現在の埼玉県と東京都)だと、「武蔵守」「武蔵介」「武蔵掾」「武蔵目」という4人の国司が存在することになります。
ただし国の規模によって国司の人数には増減があります。
また郡司も国司と同じく、大領(だいりょう)、少領(しょうりょう)、主政(しゅせい)、主帳(しゅちょう)からなる四等官制です。
まとめ
- 国を支配するのが国司、郡を支配するのが郡司、里を支配するのが里長である。
- 国司は4年の任期で中央(朝廷)から派遣された中下級貴族である。
- 郡司は元国造の地方の伝統的支配者であり、任期がなく代々世襲された。
- 郡司は伝統的に地方行政をおこなった実績があるため、国司は地方行政を委任した。
- ただし国司は中央(朝廷)から派遣されているので、郡司に律令に沿った地方行政を命じた。
- 国司と郡司は1国に複数おり、その間に序列があった。
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