【縄文時代】とても暖かくて自然食材が豊かな時代!でも後半になると…

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はじめに

みなさんは縄文時代(じょうもんじだい)というと、何が頭に浮かびますか?

やはり縄文土器(じょうもんどき)ではないでしょうか。

この縄文土器を使うことで食材を煮ることができるようになって歯の弱い子供や老人も食べられるようになりました。

そのことで日本の人口が急増することになったのです。

そのほかにも旧石器時代に比べて縄文時代には生活にざまざまな変化がありました。

今回は縄文時代の生活について説明していきます。

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縄文時代の気候と生態系

まず縄文時代を説明する場合重要なポイントは、旧石器時代との気候の違いです。

そのためにまず旧石器時代について説明します。

旧石器時代の概要

日本における旧石器時代は、いまから3万5000年前から始まりますが、地質年代で更新世(こうしんせい)にあたりとても寒いことが特徴です。

よって海の水もほとんどが氷となるため、海水面が低くなりユーラシア大陸と日本列島が一部つながっていました。

そのため大陸からマンモスなどの大型動物や人間も日本列島へと渡ってきます。

しかしながら気候はとても寒冷であるため、海や川も冷たくて魚介類が採れず、樹木も実の少ないスギやマツなどの針葉樹しか育ちません。

よって旧石器時代の人々(旧石器人)たちは、大陸から渡ってきた大型動物の肉を食料にするしかありませんでした(狩猟のみの生活)

大型動物を狩る道具として、石を割って作った打製石器(だせいせっき)を使用し、定住せずにつねに移動生活をしていました。

縄文時代の気候

しかしいまから1万6000年くらいになると地球環境に変化が起こります。

とても寒冷であった更新世が終わり、南側からとても温暖である完新世(かんしんせい)へと変化したのです。

とくに縄文時代前半においては、地球温暖化(ちきゅうおんだんか)である現在よりもさらに平均気温が高かったようです。

縄文時代の生態系の変化

地球全体がとても温暖になったため、自然環境にも大きな変化が起こります。

まずとても温暖であるために海の氷も溶けて海水面が非常に上がります。

そのためにユーラシア大陸と日本列島は完全に切り離されて、大型動物が日本列島に渡ってこれなくなります。

さらに日本列島に残った大型動物も、温暖な気候に耐えられすに死滅していきました。

それに代わってシカやイノシシなどの小型動物に変化します。

その一方で温暖になったことで川に魚介類が生息し、海にも魚介類が豊富な入江(いりえ)が形成されるようになります。

樹木も針葉樹に加えて、より炭水化物が多い実が成るクリ、クルミ、ブナ、ナラなどの落葉広葉樹(らくようこうようじゅ)が育つようになります。

つまり縄文時代になると、それまでの動物の肉に加えて魚介類や木の実も食料にすることができるようになったのです。

つまり、それまでは動物をえる狩猟(しゅりょう)のみであったのが、

  • 魚介類を得る漁労(ぎょろう)
  • 木の実を得る採取(さいしゅ)

でも食料を獲得できるようになったということです。

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いろいろな道具の使用

このようにさまざまな食料を得られたため、縄文時代の人々(縄文人)は、種類に応じたさまざまな道具も開発していきます。

とくに縄文時代は弓矢(ゆみや)と土器(どき)が使用されたことが特徴です。

弓矢の仕様や罠(わな)の設置で小型動物を仕留めた

縄文時代において生息する動物は、大型動物から小型動物に変化しました。

小型動物は体が小さくすばやく動けるため、これまでの手持ちの打製石器では仕留めることができなくなりました。

そのために小型動物を遠距離攻撃ができる弓矢が開発されました。

さらに狩猟の際には落とし穴などの(わな)も使われるようになりました。

これらをうまく使用することですばやい小型動物を仕留めていったのです。

土器の使用

さらに移動生活である旧石器時代には使用できなかった割れやすい土器を使用するようになります。

なぜ旧石器時代に土器を使用できなかったかというと、土器は重くて割れやすいために移動生活には向かないからです。

しかし縄文時代になると、定住生活であるために壊れやすくて重い土器を家に置いておくことができるようになります。

土器には、縄文土器(じょうもんどき)に代表される縄の文様(もんよう)があるものや、火焔土器(かえんどき)といった複雑の文様のあるものもあります。

これらの土器の特徴として、厚手で黒ずんていることが特徴です。

土器はおもに採集した木の実を煮てやわらかくしたり、アク抜きに使用されました。

このためこれまで堅い食物を食べられなかった幼児や老人も、煮ることでやわらかい食物を食べられるようになり、人口の増加につながりました。

骨角器の使用

さらに縄文時代には動物を食べて残った骨(ほね)や角(つの)を加工して道具として使用するようになりました。

この骨や角を加工した道具を骨角器(こっかくき)といい、おもに釣り針(つりばり)や銛(もり)など漁撈の道具として使用されました。

磨製石器との併用

縄文時代には石器にも変化がおこります。

石を砂でみがいて作った磨製石器(ませいせっき)が使用されるようになります。

磨製石器には、

  • 木の実をすりつぶすために使用した磨石(すりいし)や石皿(いしざら)
  • 木を切り倒すために使用した石斧(いしおの)
  • 漁撈のさいの網のおもりとした使用した石錘(せきすい)

などがあります。

しかしその一方で旧石器時代からの打製石器も使用されていました。

打製石器には、

  • 動物の皮をなめすための石匙(せきひ)
  • 狩猟の矢の先にとりつける石鏃(せきぞく)

などがあります。

学ぶ一般人
学ぶ一般人

でもなんで磨製石器があるのに、これまでの打製石器も使用されているの?石匙も石鏃も磨いて作れなかったの?

だるま先生
だるま先生

磨いて作れないこともないけど、磨製石器を作るのって、とても時間がかかるんだ。だから磨かなくてもいいものは打製石器だったんだよ。

例えば磨石など打製石器のようにとがっているとすると、手で持っているだけでケガをしてしまうので、磨製石器である必要があるということです。

このように縄文時代は、打製石器と磨製石器を併用して使用したのです。

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定住生活のはじまりと交易のはじまり

旧石器時代までは移動生活のために家をつくりませんでしたが、縄文人は家に住む定住生活を送るようになります。

縄文人は竪穴住居を作って集団生活を送った

なぜ縄文人が定住生活を送るようになったかというと、旧石器人が獲物を追う生活であったのに対して、移動しなくてもまわりにざまざまな食料があったからです。

そのために縄文人は直径5m、深さ70cmの穴をほって柱を立てて屋根を設置した竪穴住居(たてあなじゅうきょ)という家を建てました。

この竪穴住居は大きな意味があります。

旧石器時代は移動生活のためあまり道具を持ち歩けませんでした。

とくに土器は重くて壊れやすいので持ち歩くことはむりです。

しかし縄文時代は竪穴住居という保管庫ができたことで、様々な道具も保管できるようになったのです。

そして縄文人は20〜30人ほどの集落(しゅうらく)を作って集団生活をしました。

なかには100人を超える大集落も存在しており、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)が有名です。

暖かいので、広い地域で交易が行われた

さらに縄文時代になり気候が暖かくなると縄文人は他の場所への移動がさかんになります。

たとえば長野県の和田峠(わだとうげ)から産出される黒曜石(こくようせき)は打製石器の材料として多くの需要がありました。

この和田峠の黒曜石でできた打製石器が、千葉県の加曽利貝塚(かそりかいづか)で出土しました。

さらにこの加曽利貝塚からは、新潟県姫川(ひめかわ)で産出されるヒスイで作られた装飾品も出土しました。

長野県や新潟県で産出される黒曜石やヒスイが千葉県で見つかるということは、そこまでに人々の移動が行われていたということです。

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縄文時代の衰退

しかし縄文時代後期ころになると採集生活を送っていた縄文文化がしだいに衰退していくことになります。

寒冷化により縄文時代は衰退していく

なぜ衰退するかというと、縄文時代後期、つまり今から4500年前になると、それまで温暖であった地球が再び寒くなってくるからです。

その影響で、それまで食料としていた木の実の収穫が少なくなっていき、動物や魚を狩る狩猟・漁撈に頼るようになります。

木の実には、重要な栄養素である炭水化物が含まれています。

すると体が弱い縄文人のなかには亡くなっていく人がでてきます。

そのことによって先ほど説明した三内丸山遺跡のような大集落の数や規模も小さくなっていきます。

つまり縄文時代後期になると、食料不足という危機がやってくるのです。

宗教のはじまり

このような食料不足という状況において、一部の縄文人のなかには、「このようになる理由は神様が怒っているからだ」と考える人がでてきます。

縄文時代の信仰で有名なものにアニミズム自然神信仰)というものがあります。

アニミズムとは、自然にあるすべての物には神が宿っているという信仰であり、日本だけでなく世界じゅうに存在する考え方です。

それは山、川、石、草だけでなく、土器などの道具や亡くなった遺体にも神が宿ると考えられていました。

例えば、海の近くにある縄文時代の遺跡には貝塚(かいづか)というゴミ捨て場から動物の骨や、こわれた道具といっしょに人間の骨も出土する時があるのです。

学ぶ一般人
学ぶ一般人

人間の骨もゴミ扱いってひどすぎませんか。

だるま先生
だるま先生

アニミズムの考えではゴミの感覚がいまとちがうんだよ。

つまり現在では、人間の骨だけが神が宿る神聖であると考え、動物の骨や壊れた道具はただのいらないゴミと考えますよね。

しかしアニミズムの考えでは、貝塚にある動物の骨、壊れた道具も人間の骨と平等に神の宿った神聖なものと考えるのです。

土偶を壊すことで自分への災いを避けた

縄文時代にアニミズムという日本の宗教の原型ができると、集落において宗教儀式がおこなわれるようになります。

自然の神に祈ることで「多くの木の実を収穫できますように」と祈った(いのった)わけです。

宗教儀式で使われた代表的なものが土偶(どぐう)という土人形です。

土偶は女性、なかでも妊娠(にんしん)した女性、つまり妊婦(にんぷ)をかたどっているものが多いのが特徴です。

この理由として縄文人たちが、妊婦の出産という行為を「新たな生命を生み出す神聖な行為」と見たからです。

つまり土偶には、たくさん収穫できること、つまり豊穣(ほうじょう)と、子孫繁栄のためにつくられたということです。

ちなみに宗教儀式の道具として、男性器をかたどった石棒(いしぼう)というものも出土しています。

ほかにも発掘される土偶の身体の一部が欠けていることが特徴です。

この理由として、わざと土偶の一部を壊す災い(わざわい)を土偶に与えることによって、自分たちへの災いを避けたかったからです。

つまり自分に災いが起こる前に、土偶に災いを与えたということです。

埋葬施設の整備

さらに縄文時代になると、亡くなった人を埋葬(まいそう)するようになります。

つまり縄文時代になると墓地(ぼち)をつくるようになったのです。

まずお墓の特徴は、自分が住む竪穴住居の近くに家族単位で作られたことです。

お墓の種類は、土坑墓(どこうぼ)といって、地面に掘った穴に、膝(ひざ)を曲げて腕(うで)でおさえる状態、つまり屈葬(くっそう)で埋葬されました。

このように縄文時代は土坑墓屈葬の状態で埋葬されたの特徴ですが、この埋葬形式はどの墓地でも同じものです。

すべての墓地での埋葬形式が「同じ」であるということで、縄文時代の人々には身分差が無かったことがわかります。

なお東日本では、墓の上に墓石(ぼせき)が置かれるようになり、それが輪っかにつながった環状列石(かんじょうれっせき)が見つかっています。

環状列石は集団墓地であるとともに、宗教儀式をおこなう場所としても利用されたようです。

環状列石でも、秋田県鹿角市にある大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)は、直径が外側45mもある巨大な環状列石として有名で、世界遺産にも登録されています。

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まとめ

縄文時代中期ころまでは旧石器時代に比べてとても温暖であることが特徴です。

そのため自然環境が豊かになると同時に、自然食材も豊かになりました。

その食材を獲得したり加工するために、弓矢土器などのさまざまな道具が使用されました。

さらに周辺に食材がたくさんあるために、竪穴住居による定住生活を送るようになります。

しかし今から4500年前の縄文時代後期になると、寒冷化が始まり自然食材が不足し始めます。

すると縄文人はアニミズムを信仰し、自然に祈るようになります。

さらに縄文時代から亡くなった人を埋葬するようになりました。

埋葬は、土を掘った土坑墓に膝を抱えた屈葬の状態で行われました。

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