【縄文時代前半】気候の温暖化により多くの自然食材が獲得できた時代!

縄文土器前半アイキャッチ 日本史

はじめに

みなさんは縄文時代(じょうもんじだい)というと、何が頭に浮かびますか?

やはり縄文時代といったら、縄文土器(じょうもんどき)ではないでしょうか。

縄文土器の使用で、食材を煮ることができるようになり、歯の弱い子供や老人も柔らかい食材を食べられるようになりました。

そのことにより人間の寿命が伸びて、日本の人口が急増することになったのです。

そのほかにも縄文時代には、人々の生活においてざまざまな変化が起こりました。

今回は縄文時代の人々の生活について説明していきます。

縄文時代の気候と自然環境の変化について

ここでは縄文時代の気候と、それに伴う自然環境の変化について説明します。

縄文時代の年代

まずは縄文時代がいつから始まるかというと、今から約16000年前からです。

学ぶ一般人
学ぶ一般人

あれ!俺の記憶だと、縄文時代は今から10000年前から始まったと先生から教えられたよ。

だるま先生
だるま先生

ここにある今から約16000年前とは九州南部で縄文文化が始まった年代です。それが北上して日本全国にまで縄文文化が広がったのが今から約10000年前ということです。

つまり日本全国に縄文文化が広がるまで、約6000年もかかったということです。

木の実が多い広葉樹が中心になる

そして縄文時代は、旧石器時代と比べて、とても温暖になることから自然環境も大きく変化します。

例えば、樹木の種類が針葉樹(しんようじゅ)から広葉樹(こうようじゅ)が中心となります。

樹木が広葉樹になることで、食べられる木の実を多く獲得できるようになります。

この木の実の獲得は、旧石器時代から縄文時代における大きな変化といえます。

なぜならば、木の実にはデンプン、つまり炭水化物(たんすいかぶつ)が多く含まれるからです。

旧石器時代には、狩猟で獲得した動物からタンパク質や脂質(ししつ)しか得られませんでした。

現在、肉食ダイエットというものがありますが、人間は肉の栄養だけでは生きる上ではたりないのです。

なお補足ですが、西日本では広葉樹(こうようじゅ)中心であり、東日本では落葉広葉樹(らくようこうようじゅ)が中心です。

この違いは縄文文化の繁栄に違いを与えました。

なぜならば、クリとかクルミといった落葉広葉樹には渋みが少ない木の実できるので、加工が少ない状態で食べることができたからです。

このため縄文時代には、西日本よりも東日本の方が、人口が増えて大規模な集落ができる特徴があります。

入江ができて魚介類が住むようになる

また気温が上昇すると、地上に残った雪や氷が溶けることで川の水量が増え、さらに海に流れた結果、海水面が上昇します。

すると海岸に入り江(いりえ)が形成されますが、入江は良質の漁場となることが特徴です。

たとえば岩手県の三陸海岸などのリアス式海岸は典型的な入江ですが、その多くが漁で盛んなことで知られています。

つまり海水面上昇で入り江が形成されることで、漁労(ぎょろう)ができるようになります。

つまり魚介類からも、タンパク質を摂取することができるようになるわけです。

大型動物がいなくなり中小型動物が中心となる

一方で狩猟(しゅりょう)についてですが、気温が上昇することで日本から大型動物がいなくなります。

その理由のひとつとして、海水面が上昇したことで、大陸から陸伝いに大型動物が渡ってこれなくなったからです。

さらに、温暖な環境に寒冷地に特化したマンモスなどの大型動物が耐えられなくなったからです。

こうして生態系は、大型動物に代わり、シカやイノシシなどの中小型動物が中心となります。

よって狩猟については、シカやイノシシなどの中小型動物を狩るようになります。

このように気候が温暖化することで、縄文時代にはさまざまな自然食材が獲得できるようになったわけです。

縄文時代の道具の多様化

ここでは自然食材を獲得するための道具の変化について見ていきます。

弓矢やワナの使用

縄文時代の狩猟の対象は、大型動物から中小型動物に変化しましたが、これらを狩るにはある問題がありました。

それはこれまでの大型動物と比べて、中小型動物はとてもすばやいことです。

つまり、これまでのように打製石器を持って中小型動物を追いかけても追いつけるはずがありません。

そこで、中小型動物を狩るための弓矢(ゆみや)や、落とし穴などのワナといった特別な方法が使われるようになります。

この弓矢わワナをうまく使用することで、すばやい中小型動物を獲得できるようになったのです。

このように縄文時代になると、狩猟の対象が変化したことで、狩猟の道具や手段も合わせて変化したわけです。

採集や漁労の道具について

では縄文時代で行われるようになった採集や漁労で使う道具についても見ていきましょう。

まずは磨石(すりいし)と石皿(いしざら)ですが、セットで採集した木の実をすりつぶすために使用されました。

もちろんすりつぶす木の実は柔らかいほうがいいので、土器に入れて煮てから行いました。

(土器についてはのちほど説明します)

さらに魚を捕る漁労のさいには、シカなどの動物の骨で釣り針(つりばり)や(もり)などを作りました。

ちなみに動物の骨や角を加工した道具を骨角器(こっかくき)といいます。

そして釣り針や銛には、毒を仕込んで魚を捕りやすくする工夫もしていたようです。

さらには海に出て漁労をおこなう際には丸太をくりぬいて船にした丸木舟(まるきぶね)を使用しました。

写真はwikipediaを引用

このように旧石器時代では大型動物の狩猟のみの生活でしたが、縄文時代には狩猟のほかに新たに採集と漁労もできるようになって食生活が多様化しました。

とくに縄文時代に炭水化物が多い木の実採集できるようになったことは、とくに重要といえます。

このように食生活が多様化することで、人々は家を作って定住生活(ていじゅうせいかつ)を送るようになります。

当時の人々
当時の人々

まわりにたくさん食べ物があるから、動物を追いかけなくても生きられるようになったぞ!

人々は竪穴住居を作って生活した

では縄文時代の人々はどのように定住生活をしていたかというと、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)を作って生活しました。

竪穴住居とは直径5m、深さ70cmの穴をほって柱を立てて茅(かや)をかぶせた住居のことです。

このように人々が竪穴住居に定住生活するようになって変わったことは、さきほどの道具をすべて竪穴住居に保管できるようになったことです。

旧石器時代は移動生活のため、負担を減らすために、あまり道具を持ち歩けませんでした。

とくに土器は重くて壊れやすいので旧石器時代には作ることはできませんでしたが、縄文時代になり定住生活をするようになると、竪穴住居に常備できるようになりました。

しかし縄文時代は竪穴住居という保管庫ができたことで、様々な道具も保管できるようになったのです。

そして縄文時代の人々は20〜30人ほどの集落(しゅうらく)を作って集団生活をするようになります。

なかには100人を超える大集落も存在しており、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)がとくに有名です。

土器の使用

先ほども説明したとおり、縄文時代になると土器を使用するようになります。

縄文時代の土器には、縄文土器(じょうもんどき)に代表される縄の文様(もんよう)があるものや、火焔土器(かえんどき)といった複雑の文様のあるものもあります。

土器は食材の保存にも使われましたが、おもに食材の煮炊き用として使用されました。

とくに食材を煮炊きできることは食生活において画期的なことでした。

なぜならば食材を煮炊きできることで、

  • 食材を消毒できる。
  • 食材が柔らかくなる。
  • 食材のあく抜きができる。

という効果がありました。

まず食材が安全になり柔らかくなったことで、食べられる物が増え、食生活が向上しました。

さらに食材、特に木の実のあく抜きができることも重要です

炭水化物を多く含む木の実は縄文時代の食材の中で特に重要であり、食べやすくなることはとくに重要でした。

磨製石器との併用

縄文時代には、これまでの石を割って作った打製石器(だせいせっき)に加えて、石をみがいて作った磨製石器(ませいせっき)も使用されるようになります。

磨製石器には、磨製石斧(ませいいしおの)、木の実をすりつぶすのに使った石皿と磨石(いしざらとすりいし)、漁労の網のおもりとして使った石錘(せきすい)があります。

その一方で、矢の先に付けた石鏃(せきぞく)や、動物の皮をなめすのに使った石匙(せきひ)は打製石器です。

なぜならばこれらは先が鋭ければ使えるからです。

つまり磨く手間と時間がかかる磨製石器よりも、割って作れる打製石器でもよければ。楽ですよね。

その一方で磨石と石皿は手に持つので、先が鋭いとケガをしてしまうから、みがいてツルツルにして使ったのです。

つまり縄文時代には、用途に応じて打製石器と磨製石器を併用して使用したのです。

さらにこの加曽利貝塚からは、新潟県姫川(ひめかわ)で産出されるヒスイで作られた装飾品も出土しました。

長野県や新潟県で産出される黒曜石やヒスイが千葉県で見つかるということは、そこまでに人々の移動が行われていたということです。

まとめ

  • 縄文時代前半になると、地球が暖かくなり自然食材が豊かになったため、それまでの狩猟だけの生活から、狩猟・漁労・採集と多くの方法で獲得できるようになった。
  • 獲得方法の多様化により、弓矢土器など道具も多様化した。
  • 食材が豊富なため、人々は竪穴住居を作り定住生活をおくるようになった。

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